【物件特集】ブリリア文京江戸川橋【文京区水道】

Brillia 文京江戸川橋概要
人気の文京区エリア。
山手線内側。利便性と自然を共に享受出来る文京区。
『永く住み続けたい街』としても評価が高い文京区。
山手線内側の都心立地でありながら、心安らぐ自然が身近にある住環境。
毎日使える施設、教育施設、医療施設が充実している暮らしやすい街です。
『ブリリア文京江戸川橋』は東京都文京区水道2丁目に建つ、地上10階建て95戸のレジデンスです。(2016年11月竣工)
神楽坂、飯田橋、水道橋が生活圏となり、東京の多様な文化を日常的に触れることができます。
また、千鳥ヶ淵、小石川後楽園、江戸川公園などの豊かな自然や魅力的なスポットも数多く点在しております。
マンションの立地は『江戸川橋駅』徒歩5分、『神楽坂駅』徒歩10分と、まさに東京の真ん中と呼ぶに相応しいロケーションです。
こちらの解説では物件情報はもちろん、文京区水道について掘り下げていきましょう。
〇文京区水道の歴史について
江戸時代には武家地や寺地が多くあり、近隣の居住者には幕府から神田上水の定浚を命じられていました。
また、現在の町域に沿って流れる江戸川(現在の神田川)は、石切橋より上流が清流でした。
その為、紙漉き場ができて、神楽坂『相馬屋』の初代が紙を漉いていたほか、1881年(明治14年)創業(昭和7年廃業)の長成舎により、『江戸川』を冠した巻紙や封筒、辞令用紙、株式用紙等が作られました。
1884年(明治17年)頃から江戸川町の大海原某氏が植え始めたといわれる桜並木があり、近隣住民の協力もあって多い時には241本を数えるまでになり、小石川区内の一大名所として全市に誇るほどでしたが、1919年(大正8年)に完工した護岸工事によりほとんど失われてしまっています。
その後の関東大震災では、地域としては辛うじて延焼を免れたものの、東京大空襲等戦災により焼け野原となりました。
戦後は、隣接する新宿区同様、出版、取次、印刷関連の事業所が集積して活況を呈するようになりました。
また、都心部交通網再編の影響が当地にも及び、1968年(昭和43年)に目白通りを走る都電江戸川線(15・39系統)が廃止され、1969年(昭和44年)に首都高速5号池袋線が高架で部分開通、1974年(昭和49年)に地下鉄有楽町線が開通して近隣に江戸川橋駅が設置された結果、川沿いの風景や地域の交通体系が大きく変化しました。
平成時代に入ると、経済構造の変化から印刷工場や出版物流拠点であった土地の再利用が進み、マンション、オフィスビル、データセンター、医薬品の物流センターなどが立地するようになりました。
その一方で、車両の通れない生活小径や小規模な商店街といった下町風情も残しており、新旧住商工混在でありながらも比較的落ち着いた地域として現在に至っています。
地名の由来は、徳川家康が水道敷設を命じたことにきっかけに名付けられ、この地に設けられた上水道は神田上水といいました。
〇交通アクセスについて
Brillia 文京江戸川橋は周辺2駅2路線の利用が可能。
東京メトロ有楽町線『江戸川橋駅』徒歩5分
東京メトロ東西線『神楽坂駅』徒歩10分
最寄駅である東京メトロ有楽町線『江戸川橋』駅までは徒歩5分。
東京都心の東西、池袋や有楽町、銀座方面へ直通でアクセス可能で、隣駅の『飯田橋駅』からは、JR中央・総武線、東京メトロ東西線・南北線・有楽町線、都営地下鉄大江戸線が運行しています。
『Brillia文京江戸川橋』は、都心の様々なエリアへ短時間でアクセスでき、交通利便性に優れた立地に位置しています。
〇デザイン性について